ひとのせい、じぶんのせい
2004年12月31日友達を呼んで鍋パーティー。
みんなと食べると楽しい。
あと人が来ると部屋がきれいになるから一石二鳥。
奈良で変態が捕まった。
狂気は一般に潜む。
狂気は特殊ではない。
人がひとならずとして擦り切れる、
抑圧が暴力を生む現実は深刻である。
擦り切れたからといって小学生を殺してもいいという理由はない。
擦り切れたひとよ、ひとのせいにしてはいけない。
全部とはいはないが、ほとんどあなたのせいでこうなったから。
子供は社会と家族が一体で守らなくてはならない。
子供はいつか大人に感謝して、次世代に受けた恩を返す。
いや返さないと、っていうか返せ。
大人は子供の成長に投資するのが義務である。
リターンを期待してもいいけど、為替差損とかもあることは覚悟の上
である。
そんなの当然だと思う。
もし向き合って精一杯の愛情をかけることがめんどくさいのなら、
早くあなたの子供は誰かに預けるべき。
あなたには無理。
でも、そんな「あなた」がいないことを願いたい。
無理をしないで、ひとりでがんばりすぎないで欲しい。
思えば、悪魔により近いものはなんであるか。
それは人間そのものと言えるのでないか。
紀元前から同種、同族とわず、殺戮を繰り返し、
平和だった時間が文明発祥より計算したところ、
わずか10分もないというではないか。
だから人類は悪魔なのか。
そうではないと。
破壊と殺戮に対して、創造と和解をもって贖うことが、
自己にある悪魔にうちかつことだと思う。
自己の中にある破壊への衝動とか自覚したときに愕然とした事もある。
そこにのたうつあん鬱な自分を、不幸を願う自分がいることを。
醜い自分に向き合ったときの恐怖とその先にあるいいようのない
渇望みたいなもの。
ふたはできない。
解き放つガッツのない自分はラッキーなんだろうか。
この手の事件は根が深すぎる。
奈良の加害者は他人事ではない。
だから思う。
人のせいにしてはいけないのだ。
我が身に置き換えて考えていく問題である。
地域においてはとりあえず安堵されていることだと思う。
女児のご冥福を祈らずにはいられない。
みんなと食べると楽しい。
あと人が来ると部屋がきれいになるから一石二鳥。
奈良で変態が捕まった。
狂気は一般に潜む。
狂気は特殊ではない。
人がひとならずとして擦り切れる、
抑圧が暴力を生む現実は深刻である。
擦り切れたからといって小学生を殺してもいいという理由はない。
擦り切れたひとよ、ひとのせいにしてはいけない。
全部とはいはないが、ほとんどあなたのせいでこうなったから。
子供は社会と家族が一体で守らなくてはならない。
子供はいつか大人に感謝して、次世代に受けた恩を返す。
いや返さないと、っていうか返せ。
大人は子供の成長に投資するのが義務である。
リターンを期待してもいいけど、為替差損とかもあることは覚悟の上
である。
そんなの当然だと思う。
もし向き合って精一杯の愛情をかけることがめんどくさいのなら、
早くあなたの子供は誰かに預けるべき。
あなたには無理。
でも、そんな「あなた」がいないことを願いたい。
無理をしないで、ひとりでがんばりすぎないで欲しい。
思えば、悪魔により近いものはなんであるか。
それは人間そのものと言えるのでないか。
紀元前から同種、同族とわず、殺戮を繰り返し、
平和だった時間が文明発祥より計算したところ、
わずか10分もないというではないか。
だから人類は悪魔なのか。
そうではないと。
破壊と殺戮に対して、創造と和解をもって贖うことが、
自己にある悪魔にうちかつことだと思う。
自己の中にある破壊への衝動とか自覚したときに愕然とした事もある。
そこにのたうつあん鬱な自分を、不幸を願う自分がいることを。
醜い自分に向き合ったときの恐怖とその先にあるいいようのない
渇望みたいなもの。
ふたはできない。
解き放つガッツのない自分はラッキーなんだろうか。
この手の事件は根が深すぎる。
奈良の加害者は他人事ではない。
だから思う。
人のせいにしてはいけないのだ。
我が身に置き換えて考えていく問題である。
地域においてはとりあえず安堵されていることだと思う。
女児のご冥福を祈らずにはいられない。
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